鹿児島に迷路の城跡!?志布志城や清色城など魅力的な城が!

『日本最強の城スペシャル』で鹿児島にある迷路のような城跡が紹介されます。

該当しそうな城が『志布志城』『清色城』の2つでしょうか。

このどちらかが放送されるかもしれないので、『志布志城』『清色城』の特徴を紹介させていただきます。

 

NHKの日本最強の城スペシャルに迷路の城跡が?

 

『放送内容』
日本の城は魅力でいっぱいです。
全国から選び抜いた名城をピックアップしてその楽しみ方や驚きの秘密などが紹介されるようです!

大人気シリーズの第6弾になります。

見た目がとても美しい城から、自然豊かな堅固な城、そして戦国の英雄が建立した城郭まで。

魅力あふれる城がいろいろ登場します。
今回は、鹿児島に伝わる不思議な迷路の城跡が出てくるようですが、『志布志城』『清色城』のどちらかが出てくるんじゃないかなと思います

オンエアを楽しみに待ちます

 迷路の城跡は志布志城の事?どんな城だったの?

 

志布志城とは一体なんなのか、少し調べてみました。

 

志布志城とは?

 

鹿児島県志布志市志布志町の前川河口部、シラス台地の先端に、内城・松尾城・高城・新城の4つの中世山城が存在しています。
この4つの山城を総称して「志布志城」と呼んでいるようです

南北朝時代からこの地が戦乱に巻き込まれたことに伴い、次第にお城の規模を大きくし、機能を充実させていったと思われます。

 

志布志城の歴史

 

その平季基(たいらの すえもと)が、万寿3年(1026年)に志布志を大荘園島津荘の港として発展させたといわれています。

平季基とは、平安時代後期の地方官人です。太宰大監という、昇殿のない地下人と呼ばれる身分であったけれども、その中では位は高い方だったと言われています。

当時の志布志は天然の良港であり、海上交通の要所でした。

中世においては、船で一度に大量の物資を運搬できる海上交通が発達しておりました。
そのため、この地を支配する事は重要な意味があったのです。

平安時代末期の文治5年(1189年)には、志布志、松山と有明の東半分を中心とした地域は救仁院(くにいん)と呼ばれ、救仁院氏が治めていました。

建久2年(1191年)救仁院平八成直、地頭弁済使職を解任されて、救仁院地方は島津忠久が所領となります。

救仁院地方は、12世紀から救仁院氏、楡井氏、畠山氏、新納氏、肝付氏と次々と城主が変ります。

志布志城の正確な築城年は不明ですが南北朝の時代には松尾城と内城が存在していた事がわかっています。

後に、高城と新城が築かれたと考えられています。建武3年(1336年)に、「救仁院志布志城」の戦いについての記録が残っています

この時の志布志城は、築城時期が最も早いと考えられている松尾城だと思われます。

1577年(天正5年)、志布志は島津氏の直轄地となり、初代の地頭として鎌田政近が任命。

その後も外城として重要な役割を果たしました。
しかしながら、一国一城令(1615年)に江戸幕府が諸大名に対し、居城以外のすべての城の破却を命じた政令によって、廃城となってしまいました。

 

志布志の4つのお城は、どんな感じの配置?

志布志市街地にある全ての山が志布志城と言っても良いと思われます。

志布志小学校の裏山の「内城」、その西側の山にある「松尾城」、志布志中学校前の「高城」と「新城」という4つの城を総称して志布志城と呼ばれていました。

「内城」は南北600メートル東西300メートル、6つの廓(カク)※1。
からなり、その間は空堀で遮る構造となっているようです。
※1…かこいを設けた一定の場所。

 志布志城の場所やアクセス方法は?

 

志布志城は、現在はどのようになっているのでしょうか。

志布志城は、建物が無くなっただけで土塁や空掘などの保存状況がよく、中世山城としての趣を現在に残しています。

場所やアクセス方法は下記になります

住所 〒899-7102 鹿児島県志布志市志布志町帖6380
お問い合わせ 099-472-1111(生涯学習課 文化財管理室 埋蔵文化財係)
公式サイト http://www.city.shibushi.lg.jp/docs/2013091200202/

志布志城Map

 迷路の城跡は清色城の事?どんな城だった?

鹿児島にはもう1つ迷路のような城跡として有名な『清色城』といったものがあります

簡単にどんな城だったのか調査しました

清色城(きよしきじょう)とは?


清色城は島津氏の家臣である入来院氏の居城です。

築城年は明らかではないですが、南北朝時代の頃に原型が出来上がったのではないかと考えられています。
こちらのお城も、一国一城令により廃城になりました。

また清色城はお城として薩摩川内市で1位、鹿児島県で1位の観光名所です

 

構造

現在の薩摩川内市入来支所の裏山が跡地で、東西750メートル、南北600メートルにわたる尾根上にあります。シラス台地に手を加え独立した多数の曲輪(くるわ)を、空堀や堀切、土塁で防御しています。名前が残っているのは、本丸、西之城、松尾城、中之城、求聞持城、物見之段の6個です。大小16個の曲輪を含む、77個もの平坦地が確認されています。

 

清色城の場所やアクセス方法は?

 

清色城も同様に観光地として扱われているようです。

下記が場所やアクセス方法になります

住 所 〒 8995-1402 〒895-1402 鹿児島県薩摩川内市入来町浦之名161−2
アクセス 九州自動車道・姶良ICから車で25分、JR川内駅から車で25分。
問い合わせ先 入来麓観光案内所
TEL 0996-44-5200

地図↓

 

まとめ

今回紹介したお城は、馴染みのない方が多いかもしれません。

江戸時代の一国一条政策で、優美かつ雄大な城が消えてしまったことは、残念なことです。

けれども、城跡が残ったことは、大きな意味があります。
「志布志城」、「清色城」の魅惑により、南国の鹿児島の歴史に触れられたので、コロナウイルスが治まったら、ぜひ見に来たいです。

以上、最後前閲覧ありがとうございました